じつは、というほどのことでもないけれど、私と夫、子どもの3人で日本を離れて中国での生活を始めてから、早いもので2年が経ちました。

本当にあっというまで、「早い」の一言。

でも考えてみると、大人にとってあっというまに過ぎた2年も子どもの成長にとっては十分な時間で、当時1歳4ヶ月だった子どもは3歳4ヶ月に。コロナの影響で日本に一時帰国できず、2年以上も孫に会えない両親を思うと少し複雑な気持ちがします。

日本に思いを馳せつつ、この2年間いろいろあったような?なかったような?せっかくなので、2年分振り返ってみようと思います。


2019年秋〜

消費税増税直前、中国滞在に関わる準備のあれこれを済ませ、関西国際空港から上海行きの飛行機に乗った私たち。
その頃ちょうど子どもが少しずつ歩き始めたところでした。

夫は日本で働いていた仕事を辞めてきたので、中国で一からのスタート。私も就労ビザの取得が難しいのは重々承知の上で、仕事を紹介してもらったり、面接に行ったり。結局、やっぱりかという感じでご縁はなく日本にいた頃と同じように子どもの面倒を見る日々。

11月に夫の職が決まり、しばらく上海で働いたのち東京へ1ヶ月の研修へ。

ちょうどその頃中国ではコロナで少しざわざわし始めていて、春節前、感染が拡大してきた頃に夫が日本から帰国。

その年の春節は家族で集まることなく、夫の実家でおこもり生活スタート。夫もリモートワークで、そんな生活が2ヶ月ぐらい続きました。


杭州へ

2020年5月に夫の仕事の関係で、杭州へ引越し。再び3人生活のスタート。

2020年の1年は、子育てに疲れていたり、働きたいけど働けないフラストレーションを抱えていたりと、自分の状態があまりよくなかったように思う。

大きな問題はなかったし、平凡に暮らしてはいたけど、言葉で表現できない辛さというかそういうものがあったように感じます。


転機、仕事を始める

働けない現状を打破したくて、翻訳の道に進もうかとしてみたり、文章を書く仕事に挑戦してみたりした。翻訳はとくにご縁もやる気もなく、文章を書くいわゆるWebライターは少しお仕事を頂いたけど、あまり好きじゃないかもと思いながらも結局10記事ぐらいを納品して、久しぶりの収入が嬉しかったのを覚えています。

そして、2月に現在も続けているリモートでの事務職をスタート。

はじめは短時間での勤務だったため子どもの面倒を見つつ働いていましたが、わりとすぐ仕事量が増えたため家族にヘルプを要請し、私と子どもは夫の実家へ行き義母とともに生活することになりました。


日本に帰りたい



義母の全面的なサポートによりガツガツ仕事もできて、義母には本当に頭があがりません。

でもね、慣れない田舎での生活に、本来他人の家族との暮らし、だんだんだんだん疲れてきてしまって…

もともとホームシックとか全然ならないんだけど、あるとき、「もう日本帰りたい」となって実家に連絡を取り、日本帰国の段取りを調べ、帰国後のあれやこれやを考えて帰る気満々。

だったんだけど、結局帰国には至らずいまに至ります。
それが最善だとは思うんだけど、日本、帰りたかったな〜


3年目に期待すること



望み薄だけどやっぱり期待してしまうのは日本への一時帰国でしょうか。

あとは平凡に過ごせればいいかなあ。

もうちょっと欲があってもいいんじゃないと思うけど、ぜんぜん思いつかなかった(笑)

簡単ながら2年間の振り返りでした。
3年目も何事もなく過ごせますように。